はじめに

 コンピテンシーモデル開発の背景

近年、心の問題をもつ子どもとその家族が、早い段階で専門的なケアを身近な地域で受けられる体制が整備されつつあります。平成23年度から「子どもの心の診療ネットワーク事業」として、都道府県自治体が主体となり地域の拠点病院を整備し、医療、保健福祉、教育、警察などが連携して子どもとその家族を支援する体制づくりが開始されました。そして、児童・思春期の子どものこころを対象とした専門病棟またはユニットが次々と新規に開設され、入院治療を受ける子どもは増加しています。

児童・思春期精神科病棟での入院治療においては、看護師は子どもの生活全般にかかわり、きわめて重要な役割を担っています。看護師が行う支援は、子どもへのケアだけでなく、集団への関わり、他職種との連携や親への対応など多岐にわたっています。しかし、児童・思春期精神科看護は、看護師を養成する教育課程でほとんど取り上げられていないこと、専門性が高く他の診療科での看護経験が生かされにくい特徴があることから、看護実践能力の習得が難しいといわれています。

児童・思春期精神科病棟に勤務する看護師の看護実践能力は、当該病棟での経験年数に関連していることが明らかとなっており、経験年数に応じた教育的な取り組みが必要です。そこで、本研究では、児童・思春期精神科看護における看護実践能力の到達目標を段階的に示したコンピテンシーモデルを開発しました。

コンピテンシーモデルを開発するために、文献検討、児童・思春期精神科看護に関連する専門職や有識者へのヒアリング、イギリスのChildand Adolescent Mental Health Services (CAMHS) の視察とスタッフへのヒアリングを行いました。ヒアリングは、専門看護師、認定看護師、看護管理者、児童精神科医、精神保健福祉士、保育士、家族、大学教員などのべ30回以上行いました。ヒアリングの内容をもとに、研究班で児童・思春期精神科病棟の看護師に求められる能力についてディスカッションを重ねました。このコンピテンシーモデルは、臨床現場の生の声を反映したものとなっています。

 コンピテンシー、コンピテンシーモデル、行動指標の定義

コンピテンシーとは、ある職務や状況において、高い成果・業績を生み出すための特徴的な行動特性のことです。コンピテンシーを段階的にモデル化したものをコンピテンシーモデルといいます。コンピテンシーモデルは、能力開発や人材育成・評価の有効なツールとして、多くの企業や教育機関で活用されています。コンピテンシーモデルを看護管理や看護教育にすでに取り入れている病院もあります。

本研究では、児童・思春期精神科看護におけるコンピテンシーを、「児童または思春期の子どものメンタルヘルスに対する看護の場において、効果的な看護実践を導く看護師の思考や行動の特性」と定義しました。そして、コンピテンシーモデルとして、看護師の経験年数に応じた4段階の到達目標を設定しました。さらに、そのコンピテンシーが示す具体的な看護師の行動を、行動指標として整理しました。行動指標は、到達目標を達成できているかどうか評価をする際に参考になります。なお、本書では、行動指標のいくつかを具体例として示しており、全てを網羅しているわけではありません。

4段階のコンピテンシーモデル

レベル 児童・思春期精神科
病棟での看護経験
到達目標
レベルⅠ おおむね1年目 指導や教育のもとで、子どもとの関係性を発展させ、計画的に看護を実施することができる。
レベルⅡ おおむね2~3年目 子どもと家族に積極的に関与し、チームに働きかけてニーズに沿った看護を実践できる。また、自己の学習課題を見つけることができる。
レベルⅢ おおむね3~5年目 子どもと家族の包括的理解と多職種との協働によって、困難に対処し、治療を前進させることができる。自己の学習課題に向けた活動を展開できる。
レベルⅣ おおむね6年目以上 高度な看護活動を実践でき、かつ他者にモデルを示すことができる。指導的役割を発揮し、病棟全体の看護の質向上に寄与することができる。

 

 想定される活用方法の具体例

本書は、児童・思春期精神科病棟(ユニット)における看護実践について、「目指すべき目標」と具体的な「実践すべき行動」を経験年数に応じて示しています。そのため、児童・思春期精神科病棟の専門性や特殊性をふまえて、今自分が何を目指してどのような看護を実践すべきか、そのために何を学べば良いかを知ることができます。また、2年後、5年後などの将来のあり方をイメージすることができます。具体的には、以下のような点で、児童・思春期精神科病棟での看護師の育成に役立てることが可能です。

  • 児童・思春期精神科病棟に初めて配属となった看護師のスムーズな病棟への適応を助けます。1年目に何を身につけるべきかを知ることができ、到達目標を意識しながら日々の看護を行うことができます。
  • 年度毎に、自分の目標を立てたり、評価したりする時の参考になります。
  • 教育担当者が、研修やOJTを計画、実施、評価するのに役立ちます。
  • 児童・思春期精神科病棟(ユニット)を立ち上げる際に、どのようにスタッフを導いていけば良いかが分かります。

活用時の留意点

このコンピテンシーモデルは、ジェネラリストである看護師が、精神健康上の問題で入院している子どもとその家族に対して実践する看護を対象としています。そのため、看護管理者やスペシャリスト、管理や指導力などは含まれていません。一方で、児童・思春期精神科という専門病棟での看護に限定することなく、成人の精神科病棟や小児科病棟に入院している精神健康上の問題をもつ子どもとその家族への看護にも応用できると考えています。

本書が提示している到達目標は、質の高い看護を提供する上での目指すべき目標です。コンピテンシーモデルの開発にあたっては、児童・思春期精神科看護の質をさらに向上させたいというねらいがありました。したがって、実際に現場でできていることに留まらず、むしろ、さらなる看護の質の向上に向けて意識すべき高めの目標を示しています。また、経験年数は、児童・思春期精神科看護の経験年数であり、コンピンテンシーモデルを活用する上での、参考として幅をもたせて示しています。看護師免許取得直後の新人看護師も、他の診療科での経験が10年あるベテラン看護師も、初めて児童・思春期精神科病棟に配属になった場合は同じ1年目と数えることとしました。しかし、経験年数はあくまで目安とし、一人ひとりの看護師の実践能力を個別に捉える視点が何よりも重要です。

なお、本書では、児童期と思春期などの子どもの発達段階や診断分類によって類型化したコンピテンシーの記述は行っていません。臨床現場での活用を想定して複雑になり過ぎないモデルを目指したことも理由の一つですが、年齢や診断名に捉われすぎるのではなく、子どもの発達や言動を個別に丁寧にアセスメントすることこそが、看護の本質であると考えました。